GREEN SPRINGS STORY

第1話

立飛×ウェルビーイング 〜GREEN SPRINGS誕生秘話(前編)

立飛ホールディングスがJR立川駅北側の国有地(以下、みどり地区)を取得し、開発にいたった経緯について、まさに街区を落札したその日の晩に集まっていたメンバーが改めて振り返ります。
※この記事は2019年7月の取材を基にしています。

SESSION-1

多摩オンリーワンの施設を「みどり地区」開発のための条件

村山:「立川駅北側の国有地を取得したい」というのは、実は私から言い出したんです。立飛ホールディングスが持っている94ヘクタールの敷地を活かすためにも、駅から近いあの場所はすごく気になっていた。でも街区の開発をするにあたって、いろいろな規制がかかっていたため、これまでの入開札は不調に終わっていた。できれば2020年まで誰も手を挙げないでほしいと思っていたところ、2015年、他のディベロッパーが取得に動き出したため、入札を決意したんです。

横山:2015年1月27日に落札が決まりました。たまたま、その晩に宴席の約束をしていたのが今日この場にいるメンバーです。

久保:僕が以前勤めていた会社を辞めて、自分で会社を立ち上げたばかりで、新年会を兼ねて壮行会をやっていただけるということで、立川のあるお店に集まっていたときでした。

深井:村山社長がいらして、「立川駅北側の土地を落札した。あとはよろしく」と。そのサプライズ発表があまりにも衝撃的すぎて、新年会と久保さんの壮行会という名目がどこかに飛びました(笑)。

村山:でも私は、50年後に「あの時によくぞ落札した」と言われるだろうという自信はありますけどね。もともとあの土地は他に例がない、立川市の地区計画上の規制があったんです。

横山:大きい敷地を開発する時に、一番簡単なのは住宅を建てて売却し、開発資金を確保することなのですが、住宅を建ててはいけないという規制がある上に、「敷地内に1万㎡の多摩オンリーワンの文化系の施設を作らなければいけない」という縛りがありました。

平賀:さらに、この敷地の近くには、在日米軍基地の横田飛行場と、自衛隊の立川飛行場があって、航空法により高い建物を建てられないという制限もあり、事業面で見るとなかなか難しかったんです。都内最大の国立公園である昭和記念公園にも面しているなど立地は最高なんですけれど。

横山:でも僕は、あの規制や文化施設を作るという条件がなくても、結果的に今と近い事業をしていたのでは、と思うんです。経済が低成長化していて、なおかつ飽きられやすい今の時代に、これまでの成功体験に頼った開発をやってもだめでしょう、と。目先の利益でなく大きなスパンで考え、最終的には立飛ホールディングスという会社全体が潤うために、盤面を広く捉えて、立川という街全体を強くする開発をする方針は変わらなかったと思います。

深井:一般的に不動産会社はその土地に対する不動産価値と事業性が最優先されますが、立飛ホールディングスの場合は、自社が持っている敷地の将来も含めて考えている。だから今回のような開発ができるんでしょうね。

平賀:単年度の売上げで事業の成果を評価するようないまの仕組みではもう限界なんですよ。20世紀の成長を前提とした社会だったらそれでいいのだけど、国内外の環境が劇的に変化している社会では、持続可能な事業の実践こそが重要です。そういった時代に「地域の持続性に貢献する事業」が評価されていく。世界的に投資の流れがそういう動きを始めているわけです。ESG投資というのはそういうことですよね。今までの開発というのは敷地の中だけで損得勘定するだけだったけれど、街全体の価値を高める開発手法やその評価指標を確立できれば次の事業につながっていく。それは地元企業である立飛ホールディングスがやっているからこそ価値のあることなのです。GREEN SPRINGSの開発が立川の持続的な発展に貢献すれば、日本や世界の未来に希望を与えることになると思いますよ。

  • 村山正道

    株式会社立飛ホールディングス
    代表取締役社長 村山正道

  • 横山友之

    株式会社立飛ストラテジーラボ
    執行役員本部長 横山友之

  • 平賀達也

    株式会社ランドスケープ・プラス
    代表取締役 平賀達也氏

SESSION-2

会社名や肩書きではないこのメンバーだったらやってくれる

村山:ここいるメンバーの能力は、「ららぽーと立川立飛」(2015年開業)の仕事を通して認識していたので、このメンバーだったらやってくれるという自信があった。みんな男気があるから、「後は頼むぞ」と言ったら「わかりました!」と言ってくれる。そういう人たちなんですよ。

久保:実は古澤くんとふたりで、駅前のあの地区の入札公告が出ているけど、立飛ホールディングスはすでに94ヘクタールという土地を持っているから、改めて3.9ヘクタールの土地を買うことはないだろうと話していたんです。

横山:敷地が足りないわけではないですからね。久保さんと古澤さんは「ららぽーと立川立飛」以前からの関係ですよね。

久保:そうですね。2011年末から、僕と古澤くんが山下設計の人間として関わることになっていったんです。

横山:立飛ホールディングスも村山社長が代表になってから、開発をしっかりやっていこうという方針になりました。そのパートナーとなる設計事務所を決めるべく、コンペを行ったんです。そのときに山下設計のグループを率いていたのが久保さんで、そのプレゼンがすごく面白かったんですよね。あと、久保さんという人のパーソナリティがよかった。立飛ホールディングスの企業文化を考えると、寄り添ってちゃんと考えてくれるような人が必要だろうと。だから久保さんが担当になってくれるなら、というので山下設計にお願いすることになったんです。

久保:僕と古澤くんは会社の同期で、あのコンペはずっと一緒にやっていたんですよね。一緒にコンペに出ていた大手の事務所は、我々よりも大規模な開発の実績があった。僕たちは「立飛ホールディングスの開発なら、今までのスタイルでない提案をしよう」と、緑の豊かな場所を作る提案をしました。普通の企業からしたら貸す床面積を大きくして利益を高くするのがいいわけですが、都心中心部から至近の場所に広大な敷地を一企業で所有する立飛は、床面積ではなく、環境の豊かさを売りにする不動産開発を行うべきではないかと。プロポーザルで提案するには、チャレンジングな提案だったんですけど。

久保:その後、山下設計は立飛ホールディングスが持つエリア全体のマスタープランを担当し、僕は「みどり地区」全体のサポートとして関わることになりました。独立して、自分の会社を立ち上げたばかりで、どうなるかわからない。そんな不安を抱えたところにお話をいただいて、本当に有り難かったです。

(第2話に続く)

平賀:この話が今回のプロジェクトを象徴する話だと思うのは、「◯◯会社の◯◯と」じゃない。「この人と仕事をしたい」ということで仕事をさせてもらえる。これはすごいことだと思うんですよ。

横山:平賀さんは「ららぽーと立川立飛」からのご縁ですよね。「ららぽーと立川立飛」はただハコを作るだけでなく、建築デザインもランドスケープもきちんとコンペで選びました。ランドスケープのコンペで参加していただいたのが平賀さんで、平賀さんのお話が一番良かったんですよ。

深井:私の場合、「ららぽーと立川立飛」の基本計画に三井不動産と関わったのが最初ですね。なぜか三井不動産さんでなく、僕が役員の方の前でプレゼンをやらせていただくことになって。

横山:事前に深井さんのプレゼンを僕は聞いたんですが、すごく面白かったので「役員の前でもぜひ」とお声がけしました。

村山:立飛ホールディングスの再編前、グループ内で2社上場している会社があって、私はそのうちの一つ「立飛企業」にいて、ここはグループ全体を仕切る立場でした。もうひとつ、「新立川航空機」という上場企業があって、ここの監査法人だったデトロイト・トーマツの担当者が横山でした。その後独立したというので、手伝ってくれ、という話になったんです。

横山:僕が独立したのが2009年で、当時、村山社長は立飛企業の取締役としては一番若かった。僕が新立川航空機に関わっていたところ、立飛グループがとあるファンドに株付されて、いろんな問題が起こり始めたんです。立飛企業では、村山社長がそれをメインで仕切られていた。村山社長の相談に乗る過程のなかで、ファンドとの交渉役として起用いただきました。

村山:でも、当時そのファンドが入ってきたからこそ、我々も変われた。2010年に代表権を持って、2012年に非上場して経営統合が完了した。第一弾の開発が「ららぽーと立川立飛」です。

  • 久保憲一

    株式会社フレームワークス
    代表取締役 久保憲一氏

  • 古澤健児

    株式会社山下設計
    古澤健児氏

  • 深井幹夫

    株式会社船場
    深井幹夫氏